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    Touko Asahina/朝比奈桐子

    Author:Touko Asahina/朝比奈桐子
    A lifelong seeker of YOGA philosophy,
    The ultimate system-builder of
    the meditation and HATHA YOGA,
    40 years experiences in teaching.
    YOGA哲学の探求者であり、
    瞑想とHATHA YOGAで構成される
    システムYOGAの開発者。
    指導歴40年。

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2018/06/21(Thu)

【Advanced Class TEXT-66】Advanced TEXT 瞑想と無念無想瞑想と、どう違う?

これまでAdvanced TEXTの瞑想法を読んできた人は、
そして禅や密教などの瞑想法を実習したことのある人はなおさら、
「瞑想」の概念や実態の違いの大きさに、かなり驚いたことと思う。
なぜ? こんなにも違うのだろう? 場合によっては、どっちが本物なのか? と。

答えは簡単だ。20世紀の終わりごろから、そして21世紀へ入ってから、
「脳科学」が急速に発達したことによる。
fMRIなどの技術発達によって、脳内各所の動作状態などを、
機能面から、また素粒子revelの物質的側面からも捉えられるようになり、
分子生物学や量子力学などの知見も大いに加わって、
神経細胞NEURONの所在や働き方が、ある程度見通せるようになったことが大きい。
朝比奈の瞑想法・Advanced TEXTは、可能なかぎり、
世界の脳科学者の、新しい知見を取り入れるようにしている。

禅をはじめとする日本古来の瞑想法が、なぜ、無念無想にこだわるのか?
なぜ、「無念無想」が歴史的に必要であったか? そしてそれは、今も有効か?
専門家の方々は、考えたことがおありだろうか?

古代から今もって生き続けている“思考スタイル”に、「神話的思考」がある。
朝比奈はtabi tabi on tourで、しばしばこの件について述べている。
「神話的思考」という観念連合は、事象をダブルで相対化することのない思考形態だ。
「神話的思考」を脱却するのに、「無念無想」で結果が出るのだろうか?

古代から近代までの人々の概念、深層意識などには、洋の東西を問わず、
感情・情念がじつにドロドロとまとわりついていた。
例えば「シノブ」という言葉を、広辞苑などで引いてみるといい。
いかに陰気な感情が、目白押しであるか!
こうした社会では「無念無想」、つまり情念や想念を無化することが、とても有効である。
なぜ、「無念無想」が歴史的に必要であったか? そしてそれは、今も有効か?

そこで、文化人類学的なアプローチをしてみよう。
古代からコンピュータが一般化する前までの、一般的な人々の認識・意識構造と、
近年のPCやスマホ、PASMOなどをはじめ、生活のあらゆる場面に
電子機器類が浸透している社会に生きる人々のそれとは、
決定的とも言えるほどの違いがある。つまり、
神経(取り分け脳神経)systemの働き方に要求されることに、
決定的な違いがあるのだ!

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Photo by ElectroSawHQ

溺れている人々には、昔ながらの生き方を勧めるのも有効だろう。が、
情報量とspeedが幾何級数的とも言われる増加の中で、今後、どれほど
昔ながらの生き方が、宗教教団などの外の世界で許されるだろうか。
生物、とりわけ哺乳類の進化processを見れば、
哺乳類は、複雑化そして高速化を、合理化することで絶滅を乗り切ってきた
のではなかろうか。乗り切った正体は、適応であり、
それには、脳をはじめ神経系の進化が大きく働いている。
人類は今、複雑化・高速化の進化命題に向かって、突進している!

なぜ? そんなことが言えるのか?
この宇宙の、創成Big bang以来、膨張と加速は厳然たる物理的事実。
地球・生命の歴史を振り返っても、認めざるを得ない事実である。
40億年あまりにわたって、あまたの生物種が誕生し、
その地球舞台から去っていった。彼らは、可能なかぎり環境適応の努力をしてきた。
ヒト、高度な知性をもって誕生したこの生命体を、深く思いやってみたい。
「現代社会のストレスに耐えられない」と、
眼を閉じて、ただ座り込んでいて、いいだろうか?

脳を活性化させ、意識を拡張することで、世界はvividに押し寄せてくる!
「我おもう故に我あり」、デカルトの言葉は生きている。

René_Descartes
René Descartes

無念無想で、既存自己の概念を無化できるだろうか?
そして、何が生まれるのだろう?
なぜ、「我」を空しくするのだろう?
それは、情念過多のベタベタした心性から、脱却したいのでは?
「我」が、サラリと恬淡な存在なら、空しくする必要はない、だろう。
そして、無念無想から出てくるコトは何か?
「不立文字」もいいけれど、歴史が残らず、数式が残らず、どのように、
世界の歩みを積み重ね、つくり出すのだろう?
座禅者は、どのようにお考えなのだろう?


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