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    Touko Asahina/朝比奈桐子

    Author:Touko Asahina/朝比奈桐子
    A lifelong seeker of YOGA philosophy,
    The ultimate system-builder of
    the meditation and HATHA YOGA,
    40 years experiences in teaching.
    YOGA哲学の探求者であり、
    瞑想とHATHA YOGAで構成される
    システムYOGAの開発者。
    指導歴40年。

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2018/11/30(Fri)

無責任瞑想って? どんな瞑想?

前回、朝比奈が「無責任瞑想」という表現を用いたことで、
相棒Sからツッコミが入った。「無責任瞑想って?」と。
「世間一般の、“無念無想”を標榜しているヤツの一種」と朝比奈。
つまり、なぜ、瞑想において“無念無想”をコトサラ有難がるのか? といえば、
朝比奈は度々このblogでも書いてきたが、現代人の心性は急速に変ってきているが、
残存旧人類も少なくなくて、いまだ「天城越え」をやっているからだ?
演歌「天城越え」については、このblogで述べた(→コチラ)が、
端的に言えば、「執着の強さ」を美化する方向である。

古代人は、ギリシャ人をはじめ、執着・執念が強い! いろいろ述べれば
キリがないので、超簡略化すれば、いわゆる「世間が狭い」、
「脳の思考システムに相対化概念がない」など、ということになる。
世間が狭ければ、受容される情報のvariationは少ないし、相対化概念は育たない。
したがって脳の思考回路は、遊園地の乗り物のように、単純で狭い軌道を
クルクル回っているだけで、見える景色は同じ眺めの繰り返しである。すると、
クルクルはいつの間にか内回り(左巻き)になって、身近・些末なコトばかりを
追いかけはじめる。つまり「世間が狭く」なり、クルクルが濃縮されてくると、
執着・執念が強くなるという具合。求心性に向かうと、エネルギーは濃縮され、
臨界点では爆発するか、自壊するか、となる。
この破滅を防ぐために、「禅」の“無念無想”で、執着・執念を無化せよ、と。

ということは? 「世間が広い」ヒトには、「無念無想」の価値はない?
?しかし「世間が広すぎる」と、飛び回らなければならない、つまり発散しちゃうので、
モトもコも雲散霧消してしまう? そう、「無念無想」が自然発生してしまう!
執着なんかする余裕がないのだ! これも、思慮をなくしてしまうから、
entropyを下げなければならない?
ということは、座り込んで瞑想なんかしているより、飛び回っているのがいい?
のだけれど……、そう、「動中の静」!
ほら、コマ(独楽)が高速で回っていると、
バランスが美しくまるで止まって見えるでしょ、アレ!
この状態を、朝比奈は「無責任瞑想」と呼んでいる。

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Photo by sdstrowes

すると?「責任瞑想とは、どんな瞑想?」 とS。
そう、せっかく瞑想をするのだから「責任も持ってもらわなくちゃ!」。
どんな責任? 瞑想ならではの責任? 責務? というべきか。
つまり、瞑想という「脳作業のall free状況」の中でしかできないオシゴトをする!
「脳作業のall free状況」とは? Oh!「勝手にしやがれ!」なのである!!!
自我・思い込み・信念……なんかが、みんな吹っ飛んで、
勝手に、斬新な組み合わせがデキちゃうのである。
これは予想外の素晴らしさ、名案なのだ。


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