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    Touko Asahina/朝比奈桐子

    Author:Touko Asahina/朝比奈桐子
    A lifelong seeker of YOGA philosophy,
    The ultimate system-builder of
    the meditation and HATHA YOGA,
    40 years experiences in teaching.
    YOGA哲学の探求者であり、
    瞑想とHATHA YOGAで構成される
    システムYOGAの開発者。
    指導歴40年。

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2018/03/09(Fri)

【Advanced Class TEXT-33】Who has the right of my life? 私の命の決定権は、誰にある?

このところ、しばしば産業界における過労死問題がmediaに上る。
対策として、残業時間を削減しよう、と。それは、最もすばらしい方法だ!
しかし、それで「全体的にすべてウマク」解決するだろうか?
「なぜ、死を選ばなければならないほどの残業が生じたのか?」
という、“問題の根本”が、見えない。
「死を選ぶ」という時点で、一般的な判断能力が起動していないのではないか?
そして、そこへ至るまでに、数多く、さまざまなprocessがあったのでは? と思う。

生命体は、ヒトに限らず、自己保存能力をもっている。
この、根本的な能力が作動しない場合を考えることは、意味深い。
自己保存能力という最もbasicな能力は、当然、自己とともにあり、
自己同一性、帰属意識、自己の存在証明であるidentityと、密接に絡み合っている。
ふと、「帰属意識」が、「自己の存在証明であるidentity」と結合しているのではなく、
企業brand と結合していたのではないか? とすれば、
「自己の存在証明であるidentity」は、企業brandそのものとなるから、
自己の限界は企業brandのスケールにまで拡大される。

この意識構造では、判断基準がすべて企業brandスケールだから、
自己の限界は感知されない。しかし生身のヒトは、体力・能力に限界がある。
「決定権は自己にある!」しかし、
小児が「ボクは大統領だ」と思い込んでいる、自然さがある。
自己の限界という意味では、同質の意識だ。

こうした意識構造は、「No残業・残業削減」という機械的なlogicで解消しても、
「No残業で、仕事量と内容・質の評価」と変わったら、
結果的には変わらないだろう。なぜか?
仕事をするのは「私」であり、その「効率化」「簡素化」を追求するのも、
「私」なのだから。現代の産業社会は、奴隷制ではない。
自己の限界を「超える」のでは? と判断するのは、「自己」である!
「瞑想を行う」のは、自己と対峙することだ。そして、
「決定権は自己にある!」と、姿勢をつねに正すことである。
これは、行住坐臥、死の瞬間まで貫かれる姿勢だ。

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Photo by luc legay


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