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    Touko Asahina/朝比奈桐子

    Author:Touko Asahina/朝比奈桐子
    A lifelong seeker of YOGA philosophy,
    The ultimate system-builder of
    the meditation and HATHA YOGA,
    40 years experiences in teaching.
    YOGA哲学の探求者であり、
    瞑想とHATHA YOGAで構成される
    システムYOGAの開発者。
    指導歴40年。

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2018/10/17(Wed)

【Advanced Class TEXT-100】瞑想最高の醍醐味、時空に遊ぶ

Oh! 気付けば、この連載が100回を迎えたことに、ちょっと感動!?
地道に、100回分の技法を、読むだけでなく、体得してみて欲しい、と思う。
笑われるかも知れないが、おそらく、数十回分ほど体得すれば、
その価値の大きさに、真摯に頭を垂れるに違いない。
それほど、ヒトの脳はすばらしいのだ! この自分自身の脳を、私たちは
日々どれほど深く見つめ、濃やかに扱っているだろう? 
ほとんど、無自覚では? と思う。

世に、禅をはじめとする、さまざまな瞑想法がある。
朝比奈も一応、ほとんどやってみたが、いずれにも納得はできなかった。
納得のできなかった点の
第1は、構造的な瞑想手法と体験の言語化。
第2は、手法の再現性とヴァリエーション。
第3は、Step upしていく深度 などである。

このblogでは、これらをすべてクリアしたうえで、
第4は、神経科学からのアプローチを語った。
そして第5は、トラブル・シューティングだが、これについては、
個別的な問題であり、不安を抱かれる恐れもあるので割愛。
直接お問い合わせいただければ、回答します。

「私自身」であり、「私を、自分として見つめる脳」と、最も深く・多様に
知り合い、わかり合うための「技」が、瞑想である。

しかし「瞑想」という脳の状況を、より深く精細に見つめるためには、
現代の神経科学からのアプローチが欠かせない。最先端の脳神経科学者たちは、
瞑想を自身で行い、また、瞑想者の協力も得たいという。
いまだ、瞑想でしか近づけない“脳の高次機能”の探求である!

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Photo by Art4TheGlryOfGod


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2018/10/16(Tue)

【Advanced Class TEXT-99】Communication protocol を作ろう!

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Photo by jurvetson

現代日本では、一般に言葉によるCommunicationが、自由に活発に行われている?
と思えるのだが、一歩踏み込んでみると、多くの人々が、
かなり気苦労をしながら、互いにCommunicationを行っているように見える。
その様子を、ちょっと立ち入って観察してみると、5つのケースに分かれるようだが、
根本は、1つである。

1)自身をCommunication主体として認識していない。
2)情報と心理が混在している。
3)Communication内容や、その推移をおおよその範囲でも、必ずしも理解していない。
4)それぞれが、自身の知らないことを知ろうせず、
 「知っている・わかっている」風を装っていることが少なくない。
5)俎上にのっている内容、論理の展開予想(追求か予定調和か)などを、
 予測したり、考えたりしていない。


上記を集約すると、そのCommunicationに関わっている人々は、
それぞれがCommunicationの主体として居るのではなく、多くが見学者となっている。
もちろん、出席者の○%かは、主体的に行動・発言しているだろうが。
こうした状況は、meetingなどでよく見られることだが、
ふだんの、数人の仲間付き合いの時にも、見られることが少なくない。
「根本は、1つ」と掲げたが、それは「自己埋没による無責任化」ではないか?

そして、「自己埋没による無責任化では?」などと問えば
「わからないから」だ、と言う。実際にそうかも知れない、というのがコワイ!
突き詰めれば、“考えていない”ということでは? と思う。
これは現代日本の趨勢のようだが、それはともかく、
はっきりと、自己の判断・考えをもち、それらを明確に主張すると、
(ひところは)「キャラが濃い」などと敬遠されたようだ。
現在も、公私を問わず、老若男女の集まりで、この傾向は色濃く示されている。

そこで、どうするか? 瞑想を利用してみよう! という提案である。
実際の技法を大ざっぱに紹介しておこう。
ストレートな意見などを述べれば、それだけで敬遠されてしまうから、ここは
ダンマリを決め込むのが得策。? そう、瞑想に入るのだ!
ざわついたさまざまな振動数、さまざまな波形の空間の一隅で、目を開けたまま、
反対側の壁とか窓外の木々などに、視線を遊ばせる。
話し声の、要点や論理・論旨だけ、聞き流していく。全身はできるだけ脱力状態。
ここで、気になったことだけ、簡単にメモをとっておく。
意見を求められたら、メモ内の情報を2~3選んで、簡単にコメントを述べる。以上。
だが、コノ効果は大きい! ?なぜだろう?

瞑想中は、大いに自意識が抑えられているから、この「意見」は、
客観性が極めて高いし、発言者にしてみれば「これが自分の考えなのか?」と
思えるほど、それが含む発言者の感情が希薄なのだ。したがって、
他者に与える、発言者の存在感も希薄になり、「意見」という情報のimpactだけが
強く伝わる
。まるで、話者はいないかのようだ。これこそ、瞑想の効用である。


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2018/10/15(Mon)

【Advanced Class TEXT-98】意思決定の瞑想法―2

前回の末尾で、「random accessは、このblogの最初の方を読み直して」
と述べたが、“おさらい”は出来たろうか?
では、「最適な組み合わせを効率よく作り出していく能力」のNext stepへ!
これは、瞑想中だけでなく、日々、情報を収集し貯蔵する段階で行う方法も含む。

まず、瞑想に入る時に。
“目的性”を明確にし、脳クンに認識させておく必要がある。??? 
しつこいようだが、瞑想の本態は、ただ目を閉じて思いめぐらすとか、
心身脱落・脱落心身の世界とは異なる? ことに注意したい!
従来の「瞑想」は、もっぱら想念の「絡み合い・絡み付き」を断とう!という方法だ。
これは、前にも述べたが、古代人~近世人が「事物・事象」の相対性を
知る由もなかったことによって生じた、ガンジガラメの観念連合から
少しでも自由になるための便法として生まれたものである。

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Photo by Ludo29880

しかし今日の我々は、相対性理論を知り、富士山の頂上においてさえ、
時間の進み方が平地とは異なることを知っている! ということは、
従来の瞑想法で「ウツ」が改善した場合に、
その先の情報量と抽象化概念に対面したら、どうだろう? と。

結論を急ごう!
この先は個人の志向性の問題だから、選択は自由だ。
しかし、今後もどんどん進化・深化・拡張されていく情報社会・脳化社会で、
ある程度の快適性を求めるなら、
意識の拡張、脳のW抽象概念の拡張が不可欠である、ということは否めないだろう。
この、意識の拡張やW抽象概念の拡張を行う下地として、
とても有効なのがこのblogで提唱している瞑想技術なのである!?

この瞑想法には、意思決定能力の強化が欠かせないし、また、
この瞑想法で、意思決定能力も強化されていく。
では、意思決定に最も必要な能力とは? と、考えてみよう。
それは、情報収集の多面性、情報の分類や構築力、ダイナミックな組み合わせと、
それらを駆使するsimulation能力では? と思うのだが……。
ここまでは、情報理論で学べるところだ。しかし、理論を運用するには、
現場の脳クンの働き方、技術などが欠かせない。となると、瞑想の出番である!
キモは、分類・整理とそれらの自由度、random性のかみ合わせ方にある。
分類・整理は分かりやすいし、やりやすいが、自由度、random性となると、
その実、やりようがないのだ。そう、そこで瞑想の出番である!

思い起こしてみよう、
瞑想の最大の魅力といえば、あらゆることから自由になれること!
つまり自由の邪魔をする、すべての概念・想念・意思・希望……などから解放され、
脳クンにお任せ、「まかない」になるのだ! これは、じつに楽しい。
想定外のおいしい料理が、ドンドン登場! 当然、珍品・奇妙も出てくるが、
意外に、珍品・奇妙がお宝なのだ。つまり、通常、自分の脳クンは、
自分の意識下でコントロールされていることも少なくないので、
どうも、意識好みの影響を受けやすい。ところが瞑想中は、意識クンたちを、
できるだけお休み状態にしているので、「想定外」が飛び出しやすいのである。
この「想定外」判断こそ、意思決定において最も貴重
といっても、ハズレがないとも限らない!
そこで、大穴確率を上げ、ハズレを最小化する技術が必要なのである。
次回をお楽しみに!


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2018/10/12(Fri)

【Advanced Class TEXT-97】意思決定の瞑想法―1

意思決定というのは、当然のことながら、その内容が大きく重いほど辛い。
人生も中盤戦になると、大きく重い問題が、公私ともに目白押しとなる。
そして意思決定に、多大な能力&脳力の注入を余儀なくされてしまうので、
時には、日常業務すら滞ってしまいかねないのだ。
不遜で申し訳ないが、近年、増加傾向にある過労死なども、
この重圧によるところが少なくない、と言えるのではいか? と思う。

そこで、長時間労働と意思決定の関係は? となる。
一般に趣味労働でないかぎり、大ざっぱに、仕事は、 
業務内容・処理手順・処理技術・処理スピード・処理精度・処理結果・処理評価
などで成り立っているのでは? と予想するのだが……。
そして、これら全段階に関わる最も重要な能力が、刻々と実行され積み重ねられる
意思決定能力」では? と思う。

まず、業務内容を把握する段階で、「了解」という意思決定。
処理手順・処理技術を教えられるか、自身で考えるか、で意思決定。
ここで、「自身で考える」場合には、「自身の能力から妥当性を考え」、
その一般的な所要時間を尋ね、部分的にトライアル → 結果検証
そして、他の同種の仕事を行う人々の結果との比較。
これら一連の過程を通して、何回の意思決定が必要だろう?

日本人は一般的に、たやすく「はい、わかりました」と応える傾向にある。
意地悪く新入社員に「どこが、どのようにわかって、わからないトコロは?」と
訊ねると、ほとんどが、話の初めの方をちょっとばかりオウム返しし、
全体の構造把握となると、覚束ない。この現象は、
話をする場合も、すんなり自動的に、構造性をもたせて話せないことにつながり、
当然の帰結として、文章を書くことが極めて苦手となる。

一般企業内で、紋切型アンケートのような形式でない、業務レポートを書くことが、
どれほど重荷に感じられていることか!
これは、日本の義務教育以来のスタイルが、主体的に物事を考え、企画し、提案する
という習慣を身に付けさせて来なかったことに起因するのでは? と思う。

日常習慣の中で、小学生ごろから、こうした脳作業が行われて来ないと、
「意思決定」という作業は、とても難しくなる。つまり、
主体的に物事を考え、企画し、提案する」processには、
数多くの意思決定が必要になる。アタマの中で、モヤモヤウロウロとしている
想念・思考を、文章化するとなると、
比較検討やgroupingなどの脳作業も不可欠だ。しかも、
「ある」とか「所定の」conceptに向けてそれを行うとなれば、
情報処理作業量は格段に増加し、難しくなる。

日本人のものの考え方には、「主体的に物事を考え、企画し、提案する」processは、
どちらかと言えば忌避されてきた傾向にある。しばしば述べているように、
島国農耕共同体文化の「皆さんのよろしいように」という、スタイルの根深さでは?
これは、自己が、「意思決定を行わない」ことだ。ところが
グローバル化した現代社会、しかも情報化時代を迎えて、
人々は、すさまじい量の情報に対して、
刻々とspeedy に意思決定をしていかなければならない。
このスタイルに馴染めない(不適応の)人々は、心身症に見舞われてしまう。
「長時間労働」は、個々の件に対する意思決定に時間を要するため、
その集積が「ウツ」を誘発するレヴェルにまで達した結果では?

「長時間労働」を回避する方法は? 瞑想をすることである!
ただ目を閉じて座る「瞑想」でも、それなりの効果はあるが、積極的な瞑想法が必要だ。
つまり、瞑想中に情報のrandom accessを高め、
最適な組み合わせを効率よく作り出していく能力を高める
ことだ。
その方法は、すでにこのblogの最初の方で紹介していているので、
読み直していただくとうれしい。

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Random, by Paul Robertson   Patterned, by lovinglf


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2018/10/11(Thu)

【Advanced Class TEXT-96】脳における、洗練の技術とは?

一般に「洗練」とは、表現技術を「ねりきたえて風格・品格を高めること。
みがきをかけて優雅・高尚なものにすること」と、『広辞苑』にはある。
何となくわからないではないが、どうもしっくり来ない。
つまり、「ねりきたえ」とか「みがきをかけ」というのが、
実際にどのようなコトなのか、ワカラナイのだ。
そういう時には、英語表現を見てみよう、というのが流儀である。
というのは、「洗練」などというコトバは、
どうも古来の「和語」ではなさそうな気もするからだ。

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Photo by timquijano

驚いた! 英語の場合は、「洗練する」に該当する表現は見当たらない。
つまり、「洗練」は「される」のだ。つまり、当人が洗い練るのではなく、
周囲の状況の力が加わって、ある状態がもたらされる、ということになる。
つまり受け身の状態なのだ。ここで、また???
日本語には、「洗練させる」という表現が、なかったか?
上記の『広辞苑』の解釈は、この立場である。
「磨きをかけられた結果、手にかかった文章などが高尚なものになる」というわけ。

確かに! これは深い!
自分自身で、アカスリをする場合を考えてみよう。
自分では見えない背中やお尻の垢は?
ふと、コノ見方・考え方は、西洋の専売特許ではなかったか? と思う。
つまり、「自己」「自我」の所在・視点の置き方の問題である。
英語には「sophisticate」と「sophisticated」がある。
その意味を探ると、「sophisticate」は「世馴れた人」「洗練された人」「教養・知識人」と。
では「sophisticated」は? これは「(都会風に)洗練された」とか、「教養のある」など。
しかし日本語の場合は………、
繊維の染色や織物、陶芸や工芸などの「作品が、洗練されている」というとき、
また、「このsystem、softwareは洗練されている」と言われたら、
その道の専門家でもなければ、理解するのは難しいのではないだろうか?

思い当たったのは、「この表現はレトリックであって、
imaginationを働かせて感覚せよ!」ということではないか?
とすれば、合点がいく。
実際、数学における「数式」を言葉で語るとすれば、万言を費やしても、
いや費やせば費やすほど、ワケがわからなくなってしまうのではないか?
それが、さまざまな機能表現を体現する約束事「記号」を構造的に組み合わせ、
作動させることで、imaginationとして感覚できる状態になる
つまり、数式とは洗練に極みなのだ! そう、だから美しい。

コトバには、ヒトの感性や思いの跡形が反映されている。が、数式には、それが無い。
抽象的概念を、どこまでもimaginationで追っていくと、
抽象の美しい王国がキラキラと立ち上がってくる。これこそ
「脳クン」が最も喜ぶ、極微にも、途方もない数の宇宙空間にも広がる遊び場。
それは、思考の洗練に次ぐ洗練によって、紡ぎ出されるrealなのだ!


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