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    Touko Asahina/朝比奈桐子

    Author:Touko Asahina/朝比奈桐子
    A lifelong seeker of YOGA philosophy,
    The ultimate system-builder of
    the meditation and HATHA YOGA,
    40 years experiences in teaching.
    YOGA哲学の探求者であり、
    瞑想とHATHA YOGAで構成される
    システムYOGAの開発者。
    指導歴40年。

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2018/12/03(Mon)

コレ、コロンブスの卵? 瞑想は多彩だ!

これも、瞑想のご利益かも知れないが、トンデモナイことを悟った!
瞑想、禅も含めてのことだが、「無念無想」とか「只管打坐」だとか。
これらは、とんでもないレトリック(巧言)である!?
自動車の運転にたとえてみよう。
「ただ、運転席に座り、ハンドルに手をかけ、
何も指示せず、何も考えないこと」である!!


自動運転車両でも、ignition 指示をしなければ、スタートしない。
勝手に動き出したら、想定外の事故が起こるだろう。
「脳」も、同様である。「無念無想」とか「只管打坐」で、「脳クン」はどうするの?
意識機能を低下させることで、「脳」をsleep modeにするの?
確かに、ロクデモナイ想念にグタグタ振り回されているより、脳クンは休まるだろう。
しかし、それら想念が「ロクデモナイ」かどうか、をどのように知るの?
どんな「時」と「場合」に、「脳クン」はわくわくと喜ぶの?

ここまで来て、トンデモナイコト(事実)がヒラメイタ! それ、
「無念無想」」とか「只管打坐」は、「脳クン」のとてつもない能力の全否定である! と。
なぜ? 「脳クン」の能力の全否定をおすすめするの?
それは、レオナルド・ダ・ヴィンチやコペルニクスの出現を、未然に防ぐ企みでは?
何も思わず、疑問を感じず、疑わない……、これほど
為政者にとって便利な、納税者の「脳」はない!?
これは、「脳の去勢」ではないか?!

Leonardo_da_Vinci.jpg

思い・想い・考えをめぐらすことは、誰にも侵されるべきではない、はずだ。
抑留された人々が、こうした「脳の行為」にどれほど支えられ、夢や希望を紡いで
生き延びてきたことだろう!
「無念無想」や「只管打坐」を称揚する人々に、ふと、「脳自身」「心自態」の
本音に耳を傾けて欲しい、そう思う。

時に、「邪念を払う」という言葉を耳にすることがある。
「邪念」とは? 自身から浮かび上がってきた想念において、
「正・邪」とは? 心は賢い! 韜晦の名人だ。
その韜晦を見つめるうちに、本心がちらりチラリと顔を見せる。
その顔を、楽しく「見つめ」ていくうちに、さまざまな綾がほどけていく。

「脳クン」は賢く、頼りになるヤツだ。
「無念無想」どころか、博覧会を楽しむ方がいい。そのうち、
「もうダシモノがなくなっちゃったヨ」と。
「そうかぁ、だいぶ棚卸し、蔵出し、虫干し、廃棄物処分をしちゃったんだね」
「軽くなったかなぁ?」
「置き場所、しまい場所が変って便利になっただけだよ」
「ふーん。あっ! あった、あった! ほら、コレとくっついて、いいなぁ、ステキだ!」

こんな、ステキな瞑想をしてみませんか?
理論物理学者や数学者たちは、「お道具(数式・記号)」をあっち、こっちと、
自由に遊ばせて、すばらしい仕事をしています。
これが、彼らの「瞑想」timeなのです。時には散歩しながら。
「禅」の「経行(きんひん)」は、歩く動作を一つずつ覚知するのですが、
前記の学者たちは、散歩しながら数式について話しながら、ヒラメキを呼び出すのです。
運動を伴わない「只管打坐」より、無意識に歩きまわりながらの瞑想の方が効く!
★交通事情や穴ぼこなどに厳重注意!★

「無念無想」より、「脳クン」がワクワクする集中と拡散をリズミカルに行いながら、
ポーンとエサ(命題など)を放り込んであげるのもいい。
★★★情報環境・論理構造がどんどん進化している今日だから、
「脳クン」の気晴らしや楽しみ、もちろんトレーニングにも、進化が必要です!


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2018/11/30(Fri)

無責任瞑想って? どんな瞑想?

前回、朝比奈が「無責任瞑想」という表現を用いたことで、
相棒Sからツッコミが入った。「無責任瞑想って?」と。
「世間一般の、“無念無想”を標榜しているヤツの一種」と朝比奈。
つまり、なぜ、瞑想において“無念無想”をコトサラ有難がるのか? といえば、
朝比奈は度々このblogでも書いてきたが、現代人の心性は急速に変ってきているが、
残存旧人類も少なくなくて、いまだ「天城越え」をやっているからだ?
演歌「天城越え」については、このblogで述べた(→コチラ)が、
端的に言えば、「執着の強さ」を美化する方向である。

古代人は、ギリシャ人をはじめ、執着・執念が強い! いろいろ述べれば
キリがないので、超簡略化すれば、いわゆる「世間が狭い」、
「脳の思考システムに相対化概念がない」など、ということになる。
世間が狭ければ、受容される情報のvariationは少ないし、相対化概念は育たない。
したがって脳の思考回路は、遊園地の乗り物のように、単純で狭い軌道を
クルクル回っているだけで、見える景色は同じ眺めの繰り返しである。すると、
クルクルはいつの間にか内回り(左巻き)になって、身近・些末なコトばかりを
追いかけはじめる。つまり「世間が狭く」なり、クルクルが濃縮されてくると、
執着・執念が強くなるという具合。求心性に向かうと、エネルギーは濃縮され、
臨界点では爆発するか、自壊するか、となる。
この破滅を防ぐために、「禅」の“無念無想”で、執着・執念を無化せよ、と。

ということは? 「世間が広い」ヒトには、「無念無想」の価値はない?
?しかし「世間が広すぎる」と、飛び回らなければならない、つまり発散しちゃうので、
モトもコも雲散霧消してしまう? そう、「無念無想」が自然発生してしまう!
執着なんかする余裕がないのだ! これも、思慮をなくしてしまうから、
entropyを下げなければならない?
ということは、座り込んで瞑想なんかしているより、飛び回っているのがいい?
のだけれど……、そう、「動中の静」!
ほら、コマ(独楽)が高速で回っていると、
バランスが美しくまるで止まって見えるでしょ、アレ!
この状態を、朝比奈は「無責任瞑想」と呼んでいる。

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Photo by sdstrowes

すると?「責任瞑想とは、どんな瞑想?」 とS。
そう、せっかく瞑想をするのだから「責任も持ってもらわなくちゃ!」。
どんな責任? 瞑想ならではの責任? 責務? というべきか。
つまり、瞑想という「脳作業のall free状況」の中でしかできないオシゴトをする!
「脳作業のall free状況」とは? Oh!「勝手にしやがれ!」なのである!!!
自我・思い込み・信念……なんかが、みんな吹っ飛んで、
勝手に、斬新な組み合わせがデキちゃうのである。
これは予想外の素晴らしさ、名案なのだ。


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2018/11/29(Thu)

実に便利な瞑想法! なぜ? 使わないの?

ああ、だいぶしばらくドアを閉めて昼寝してしまった!
ふと窓外を眺めると、桜紅葉も残り少なくなっている。

DSC02443_2.jpg

カレンダーを見ると、もうじき11月も終わりで、年末が近い!
こりゃ、タイヘンダー!! と、あわてふためいたところで、
何からヤルか?……そうだ! 無責任瞑想をしよう!
無責任瞑想? そう、世間一般に「瞑想・瞑想」と御大層に語られているヤツである。

朝比奈にとっての瞑想は、必要欠くべからざる重要な、生活&business toolなのだ!
朝比奈瞑想が、特に威力を発揮してくれるのは、海外企業とのbusiness sceneである?
当方も英語はからっきしだが、先方も、英語が第2外国語だったりする場合には、
お互いにいろいろと苦労が多い。
Mailに関しては、近ごろnet上の○○翻訳の利用で、かなりなナントカナルが、
ちょっと突っ込んだ微妙な話になると、誤差が多くて、まるでお手上げである!

そこで便利なのが、瞑想を利用する方法。もっともコレは、お互いにかなり
瞑想技術(ソノスジの技術)に長けていなければ成り立たないのだが。
現在、EU某国のCIT屋さんとヤリトリしている朝比奈、
先方は職業柄、DATAの作り方とその送信技術に長けている。そこでしばしば朝比奈は、
アタマのNEURONネットワークsystemを彼らにversion upしてもらっている。
どのように? 両者が瞑想状態に入り、脳波をシンクロさせ、
version upしてくれる方が出力を上げると、
低い周波数と弱い出力で稼働している脳波を同期させることができる。
しばし同期させていると、低い周波数と弱い出力で稼働している方は、
気持ちが良くなって、どんどんversion upされてくる。メデタシ!!

コレ、実はスゴイことなのだ。
細かい高度な電磁波的なオハナシがあるのだが、
やたら難しくなるので、ここではthrough! すると、
眉にツバを付けられそうだけど……。
ああ、それから、瞑想好きなヒトはどうも、「怪しげなscienceでゴマカサレたくない」と。
そこが大きな問題で、脳内構造・状況などをよくよく理解していないと……、
それこそ“心理的世界”で納得させられてしまう。?
瞑想で、脳内に起こるさまざまな体験を学び、さまざまな瞑想手法の
伝授を受けたいヒトは、どうぞ、朝比奈へaccess!!


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2018/10/17(Wed)

【Advanced Class TEXT-100】瞑想最高の醍醐味、時空に遊ぶ

Oh! 気付けば、この連載が100回を迎えたことに、ちょっと感動!?
地道に、100回分の技法を、読むだけでなく、体得してみて欲しい、と思う。
笑われるかも知れないが、おそらく、数十回分ほど体得すれば、
その価値の大きさに、真摯に頭を垂れるに違いない。
それほど、ヒトの脳はすばらしいのだ! この自分自身の脳を、私たちは
日々どれほど深く見つめ、濃やかに扱っているだろう? 
ほとんど、無自覚では? と思う。

世に、禅をはじめとする、さまざまな瞑想法がある。
朝比奈も一応、ほとんどやってみたが、いずれにも納得はできなかった。
納得のできなかった点の
第1は、構造的な瞑想手法と体験の言語化。
第2は、手法の再現性とヴァリエーション。
第3は、Step upしていく深度 などである。

このblogでは、これらをすべてクリアしたうえで、
第4は、神経科学からのアプローチを語った。
そして第5は、トラブル・シューティングだが、これについては、
個別的な問題であり、不安を抱かれる恐れもあるので割愛。
直接お問い合わせいただければ、回答します。

「私自身」であり、「私を、自分として見つめる脳」と、最も深く・多様に
知り合い、わかり合うための「技」が、瞑想である。

しかし「瞑想」という脳の状況を、より深く精細に見つめるためには、
現代の神経科学からのアプローチが欠かせない。最先端の脳神経科学者たちは、
瞑想を自身で行い、また、瞑想者の協力も得たいという。
いまだ、瞑想でしか近づけない“脳の高次機能”の探求である!

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Photo by Art4TheGlryOfGod


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2018/10/16(Tue)

【Advanced Class TEXT-99】Communication protocol を作ろう!

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Photo by jurvetson

現代日本では、一般に言葉によるCommunicationが、自由に活発に行われている?
と思えるのだが、一歩踏み込んでみると、多くの人々が、
かなり気苦労をしながら、互いにCommunicationを行っているように見える。
その様子を、ちょっと立ち入って観察してみると、5つのケースに分かれるようだが、
根本は、1つである。

1)自身をCommunication主体として認識していない。
2)情報と心理が混在している。
3)Communication内容や、その推移をおおよその範囲でも、必ずしも理解していない。
4)それぞれが、自身の知らないことを知ろうせず、
 「知っている・わかっている」風を装っていることが少なくない。
5)俎上にのっている内容、論理の展開予想(追求か予定調和か)などを、
 予測したり、考えたりしていない。


上記を集約すると、そのCommunicationに関わっている人々は、
それぞれがCommunicationの主体として居るのではなく、多くが見学者となっている。
もちろん、出席者の○%かは、主体的に行動・発言しているだろうが。
こうした状況は、meetingなどでよく見られることだが、
ふだんの、数人の仲間付き合いの時にも、見られることが少なくない。
「根本は、1つ」と掲げたが、それは「自己埋没による無責任化」ではないか?

そして、「自己埋没による無責任化では?」などと問えば
「わからないから」だ、と言う。実際にそうかも知れない、というのがコワイ!
突き詰めれば、“考えていない”ということでは? と思う。
これは現代日本の趨勢のようだが、それはともかく、
はっきりと、自己の判断・考えをもち、それらを明確に主張すると、
(ひところは)「キャラが濃い」などと敬遠されたようだ。
現在も、公私を問わず、老若男女の集まりで、この傾向は色濃く示されている。

そこで、どうするか? 瞑想を利用してみよう! という提案である。
実際の技法を大ざっぱに紹介しておこう。
ストレートな意見などを述べれば、それだけで敬遠されてしまうから、ここは
ダンマリを決め込むのが得策。? そう、瞑想に入るのだ!
ざわついたさまざまな振動数、さまざまな波形の空間の一隅で、目を開けたまま、
反対側の壁とか窓外の木々などに、視線を遊ばせる。
話し声の、要点や論理・論旨だけ、聞き流していく。全身はできるだけ脱力状態。
ここで、気になったことだけ、簡単にメモをとっておく。
意見を求められたら、メモ内の情報を2~3選んで、簡単にコメントを述べる。以上。
だが、コノ効果は大きい! ?なぜだろう?

瞑想中は、大いに自意識が抑えられているから、この「意見」は、
客観性が極めて高いし、発言者にしてみれば「これが自分の考えなのか?」と
思えるほど、それが含む発言者の感情が希薄なのだ。したがって、
他者に与える、発言者の存在感も希薄になり、「意見」という情報のimpactだけが
強く伝わる
。まるで、話者はいないかのようだ。これこそ、瞑想の効用である。


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